松阪市議会議員 植松泰之 市政報告
うえまつ―しん15号-2
平成25年11月10日

2条例案が否決されて、
まちづくりが後退することはありません
~市民まちづくり基本条例・住民投票条例~

否決こそ、住民の意思

この度、市議会に再提案された「市民まちづくり基本条例」と「住民投票条例」について、私たち松阪市議会は住民の皆さんの確固たる意思を尊重し、到底認めるわけにはいかないという多数の統一見解の下、再び否決という結論を出しました。
これらの条例は、昨年の2月議会において、「市民」を定義づけるのに市外の人々も含めている点や「住民投票」に参加できる投票資格者に外国人を含めている点など、市政の根幹を揺るがしかねない多くの問題を含んだものであることから、否決したものです。その際には、市内の多くの住民の方々にもパブリックコメント(意見聴取)等を通じて制定反対の声を上げていただきました。
これらの条例に対しては様々な考え方が存在し、全国紙や地元紙でも今回の提案の趣旨、議論の内容そして議決結果に対し、新聞社の考え方なども含めてその一部が記事として掲載されました。
その内容や一連の流れから、ともすれば住民の皆さんの中には「この否決によって再び松阪市のまちづくりが一歩も二歩も後退してしまうのではないか」といった危惧をお持ちになった方もいらっしゃるのではないでしょうか。

今でもできる「住民投票」

そのような危惧や不安を払拭するためにも、あえて住民投票制度に絞って2点、問題点を指摘しておきたいと思います。
一つには、そもそも住民投票本条例なくとも現行法(地方自治法「直接請求」第74条)に則って行うことができるという点です。
そしてもう一つには、この則るべき地方自治法「直接請求」第74条に示す規定内容が、日本国籍を持つ20歳以上の有権者に限られた権利、「直接請求」権だという点(「日本国民固有の権利」とも言われるもの)です。
つまり、松阪市に限らず、日本では、今ある「日本国民固有の権利」を行使すれば、いつでも住民投票を行うことができるように既に制度化(一定数以上の連署は必要ですが)されているのです。
したがって、皆さんの権利のことを考えれば、このことをもってして「市民まちづくり基本条例」やそれに付随する「住民投票条例」などは無くてもよい条例だということができるのです。
そうであるのなら、今、なぜ再び条例化が叫ばれているのか、言い換えれば、条例が制定されて一体何が変わるのかを考えなければなりません。それは何か。
これらの条例が制定されれば、「日本国籍を持たない人たち」も住民投票を行うことができるようになります。つまり、地方自治法にある「直接請求」権の権利行使の手続きを取らずとも、松阪市独自で作った「住民投票条例」に則って国籍に関係なく住民投票が行われてしまうということです。
これは「日本国籍を持たない人たち」に本来ならば付与されていないはずの「直接請求」権という権利を付与することと同等の意味を持つことになります。
こう考えれば、これらの条例は無くてもよい条例ではなく、あってはならない条例だと言うことができるのです。

これからも「まちづくり」は皆さんの手で

誤解していただきたくないのは、これは決して「日本国籍を持たない人たち」のことについて申し上げているのではなく、あくまでも問題としているのは、地方自治法という法律の趣旨を無視してまで松阪市が独自にこのような条例を作ることに対し、すべての住民の皆さんは承知しているのか、ということなのです。言うまでもなく承知しておりません。
皆さんが承知もしていないこのような条例を受け入れることなど私には到底できませんでした。もし受け入れてしまえば、それは良識ある住民の皆さんの意思に背くことにもなります。
念のために申し上げれば、この度、これらの条例を再び否決しましたが、だからと言って、これからの松阪市が、そして私たちのまちづくりが後退するようなことはありません。私たちのまちづくりは自治会、住民協議会、議会を通して、いつでも私たちの手の中にあり続けます。引き続き、皆さんと共に知恵を出し合い、素敵な町にしていこうではありませんか。

コラム:疑ってみることは勇気の要ることかもしれない

歳を重ねるにつれ、自分の価値観が安定し、そのお陰であらゆる物事に対して、あまり悩まず簡単に考えて判断しているかもしれないと思ったことはありませんか。
政治や経済に限らず、仕事に対して、人に対して、家族に対して何かを判断する時や何かを感じる時、あまり熟慮せずに済ませてしまうことが多くなってきていると思いませんか。
大半はそれで問題なく過ぎていくのですが、いざ何かを変えようとする時や何かを始めようとする時、ひょっとしてそれでは済まされないことが出てくるのではないかと思ったりします。
一度立ち止まり、目の前の事象に疑問符を投げかけてみるのも大切なことなのかもしれません。

…子供の遊ぶゲームは「30分だけね」などとルールを決めさえすれば問題ないのだろうか。少年犯罪が増え、しかも残虐さが増しているといわれているが実際はどうなのだろうか。地方自治において道州制の導入が不可欠だといわれているが本当だろうか。国の借金と家の借金は同じなのだろうか。坂本龍馬は本当にあれ程の活躍をしたのだろうか、等々…。

これまで見聞きしてきたことを疑い、見る角度をずらし、我欲を排して立ち止まってみることは決して楽なことではないし、むしろ勇気の要ることなのかもしれません。
しかし、社会が変わる時、自分が変わる時とは些細な疑問符の積み重ねによってもたらされるような気がしてなりません。
皆さんはどう思われるでしょうか。

松阪市議会議員 植松泰之 ブログ
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