松阪市議会議員 植松泰之 市政報告
うえまつ―しん17号-1
平成26年8月10日

学校に、みなさんの豊かな知恵をお貸しください

懐かしい想い出

学校が「昔と変わってしまった」と言われるようになって久しいですが、その原因の一つに、子供たちと経験豊かな地域の方々との関わり方の変化が挙げられるのではないでしょうか。
私が子供の頃、些細なことに思い悩み、行く先を見失っていた時、「こんな風に考えてみてはどうだ?」と、滋味豊かな言葉で目を覚まさせてくれるお年寄りが居てくれました。また、悪いことをした時、ウチとヨソの区別なく、「ダメなものはダメ!」と、正しく叱ってくれる地域の大人が居てくれました。懐かしい想い出です。
ところが今日では、子供たちの生活のほとんどは学校と家の中で占められ、学校では先生と、家では父親や母親と接するだけで、同居でもしない限りお年寄りと接することはありません。
今だけの狭い尺度に囚(とら)われることなく、豊富な経験に培(つちか)われた柔軟な思考と、大所高所から見ることのできる広い視野で導いてくれる大人が周りに居てくれる心強さを、慕(した)わしく想い起こすのは私だけではないでしょう。地域にこれだけ大勢のお年寄りがいらっしゃるのに十分に接する機会が持てないとは誠に残念なことです。

学校運営の新しい形「コミュニティ・スクール

「コミュニティ・スクール」というものがあります。この耳慣れない制度は、そもそも地域の声を活かした学校運営を目指し、公立ではなく、私立でもない、いわば“地域立”の学校ができないものかということから始まり、調査・研究が続けられたものです。
現在は、文部科学省による教育政策の一つとして位置づけられ、これまでの公立学校という運営形態に変わりはないものの、地域の人たちが責任ある立場で学校の中に入り、校長先生や現場の教師と意見交換をし、時にはその人事にも意見を加えることのできる、新しい学校運営の仕組みを模索するべく展開されています。
全国で試行導入する自治体が増えてきており、わが松阪市においても、平成25年度から鎌田中学校区(鎌中、第四小、港小)で先行導入されています。
具体的には、地域のボランティアによる本の読み聞かせ、調理実習のお手伝い、登下校時の交通指導などの活動が行われています。

今こそ、学校にお年寄りの知恵を

では、これらの活動に加え、お年寄りの豊かな知恵を活かした更なる取り組みはないものでしょうか。
昔は「コミュニティ・スクール」などなくても、自然に子供たちとお年寄りが交わり、その中でしっかりと“教育”がなされてきました。
つい最近まで「ゆとり教育」と称する、新たな取り組みが実施されてきましたが、本来、教育に流行(はや)りものは必要ないはずです。今こそ、温かい血の通った地域の交流を取り戻すべきではないでしょうか。
例えば、家庭科や総合学習の時間にお年寄りに入っていただき、美味しい野菜の作り方やお手玉やあやとりの遊び方を教えていただく。放課後の時間を利用して、共にふれあいながら雲の様子と天気の関係といった豊かな経験を子供たちに伝えていただくなど、意見を出し合えば、いろいろな取り組みが考えられそうです。
耳慣れぬ「コミュニティ・スクール」もそこから出発できれば、実り多い学校運営に寄与しうるのではないかと考えます。

子供が人と“競う”ということ

〜全国学力テストの意義を踏まえて〜

競い合いの中でこそ成長していく子供たち
子供は仲間同士で競い合うことによって日々成長していきます。
子供は互いに切磋琢磨する中で、自身の長所を見つけたり、相手を認めたりしながら、自己を確立し、社会性を身に付けていきます。いわば日常の様々な競争から健全な向上心が育(はぐく)まれ、己を知る貴重な機会を得ることができるのです。
「競争させることで、子供たちの間に差別が生まれる」と心配する声が聴かれます。果たしてそうでしょうか。
私たちが子供の頃、運動会で徒競争があると、例えば5人で走れば、1位から5位までしっかりと順位が付けられました。しかし、そのことで差別が生まれたかといえば、決してそのようなことはなかったはずです。むしろ普段、勉強で目立たない子が、ここぞとばかりに張り切って1位など取れば、その子はたちまち運動会の主人公でした。もちろん5位の子は悔しい思いをしますが、その代わりに自分は何が得意で、何が不得意なのか、はっきりと「気付く」ことができました。

競争は差別を生むという錯誤

最近まで教育関係者の間で、全国学力・学習状況調査(以下、全国学力テスト)の成績(平均正答率)を学校別に公表するかどうかで、様々な意見が出されていましたが、どうやら松阪市教育委員会は「公表しない」という判断を下しそうです。
理由として挙げられているのは「子供のヤル気を削(そ)ぐ」「差別を生む」「競争させることは無意味」などといったところです。
そもそも全国学力テストは、全国の教育水準の平準化(へいじゅんか)を図るため、学校現場における子供たちへの指導の仕方を見直すための重要な指標として実施されるものであり、個人成績を明かして子供一人一人を理不尽に追い詰める要素などあり得ないのです。
たとえ芳(かんば)しくない成績が学校別に公表されたとしても、嫌な思いをするのは子供たちではないはずです。

健全な向上心を育むために

子供たちが“競う”ことに臆することなく正面から向き合えば、自ら「気付く」という機会を持つことになり、健全な向上心を育むことに繋がります。
この「気付く」ということが、よく言われる「自主性を重んじる」以上に教育にとって重要であることは、今さら言うまでもありません。
人と“競う”ことから隔離された子供たちが、やがて大人になった時、果たして社会の中で逞(たくま)しく生きていけるでしょうか。
皆さんはどうお考えになりますか。